学生時代からずっと騙されていたのですが、このタイトルの言葉って、今の日本ではぐちゃぐちゃになりすぎてて体をなしてないですよね。右翼といえばヤクザのことだと思っていました。じゃあ、左翼はヤクザの反対…、一般人、なの? とか。じゃあネトウヨって、ネット上のヤクザのことなの?と思ったら、そうでもない。ワケガワカラナイヨ!!
政党で言うと、例えば自民党はどっちなの? まあ、保守も革新も人によってそれぞれ。自民党以外は自民党の意見に反することを言ってるだけ。ときどき維新の会みたいに、自分の意見を言える人たちも出てくる。そういうボイスの大きい人達は革新派かというと、もちろんそういう面もあるけど、保守的な立場もしっかり出してる。うーむ、簡単ではない。
その点、田嶋陽子さんみたいな分かりやすい革新派は理解しやすいですよね。故・土井たか子さんらと共に、女性の社会進出に尽力した功績は、まさに革新派です。まあ、ググってみるといろいろ言われていますが…。人として好きではないですが、尊敬に値する方々です。
右翼・左翼のそもそもは、フランス革命の後の議会で、保守的な立場をとった人たちが右側に座り、革新的な立場をとった人たちが左側に座ったことに由来しているようですが、以下の通り、現状ではそんな簡単な図式にはなっていません。
▼左翼・右翼(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E3%83%BB%E5%8F%B3%E7%BF%BC
伝統的には、左翼には進歩主義、社会自由主義、社会民主主義、社会主義、共産主義、アナキズムなどが含まれ、右翼には保守主義、反動主義、王党派、国家主義、ファシズムなどが含まれるが、西側諸国の勝利に終わった20世紀後半の冷戦終結を受けて、戦間期に存在した立憲君主制及び多党制民主主義体制に復帰する国が増えたソビエト連邦崩壊後の現在社会において、左翼(革新派)と右翼(保守派)の定義は曖昧となり、さらにはかつて鉄のカーテンによって封鎖されていたソビエト共産党体制の内実が明らかになるにつれ、社会主義及び共産主義運動の思想的再定義に直面した思想史研究者を中心として、冷戦時代には極右体制の代名詞として規定される事が多かったファシズム(全体主義)を、ムッソリーニなどに代表されるその思想的源流から客観的に考察するという側面から広義の左翼(極左)の一種であると再規定される事も多くなっている。
小林よしのりの戦争論を以前紹介しましたが、それによれば(主に3巻目の内容ですが)今の日本人はほぼ左翼だと言われています。おっと失礼。サヨクと言うべきでした。左翼はちゃんと論理を持って意見を言える革新派の人たちです。サヨクは、感情的で相手の意見を聞かない困ったちゃんです。もっと言うと不勉強な人たちです。
私は周囲の人を見ていて、テレビを見ていて、なんか納得感がありませんでした。モヤモヤしていました。途中までは論理的なのに、結論を言う段になるといきなり関連性のないことを言い始める。我々のご先祖様は、一体何をやらかしたのか。とんでもない人たちだったのか?!とか。でも、そんなことはないようです。そう思ってしまっているのは、戦後にGHQが行ったウォー・ギルド・インフォーメーション・プログラムの影響が未だに残っているから、なのだとか。それがそのままサヨクに結びついている。
むしろ、我々のご先祖様は、我々の世代には頭が上がらないほどの功績を残した方々でした。大東亜戦争を知る外国の方々の意見がそれを物語っています。本当に誇りに思います。
▼世界は日本をどう見ているか
https://www.youtube.com/watch?v=Yi6t6r7FbjM&list=PLntyBXJ755lUQfU1XYm3omV5iuE_m-633&t=3s
▼インドネシアが世界一の親日国である理由
https://www.youtube.com/watch?v=doPlKvTdIbA
インドネシアのブン・トモ元情報相の「そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。」というフレーズ。なんかごめんなさいと思ってしまう自分は、間違いなく日本人の血を引いているんだと思う。
タイのククリット・プラモート元首相の「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが 生まれた子供はすくすくと育っている。」というフレーズ。このことを理解できていない日本人であった自分が悔しいです。
あと、初代インド首相ネールの発言はしっかり調べてみたのですが、信憑性が低いようですね。それでも、サンフランシスコ講和会議に参加せず、条約に調印しなかったのは事実で、日本の味方になってくれました。
また、パール判事は当時の国際法の権威として、言うことを言っただけで日本が好きとかそういうんじゃないんだからね!というプロの鑑な言葉を残されておりますけれども、当時の国際法の位置付けが残念だったからこそ、そういう言い方をして直接的な言い方を避けていたのもあったでしょう。東亜が独立しきった今、国際法が幅を利かせるようになったのは当然の帰結と言えます。
…みんなさあ、目を醒まそうよ。薄々気付いてるでしょ? ホントに大丈夫かなあって不安になるのは私もだったけど。それ以上にご先祖様を敬って良いんだって想いの方が、私は大事にしたかった。広島出身だからこそ、妥協しちゃダメだって思った。核家族ではなく、2世帯住宅で育ったということもある。子供の頃から、ばあちゃんには色んな所に連れてってもらった。きっと、自分の感覚で判断できる材料はたくさんあるはずなんですよ。他人に言われるままではなく、自分はどう思うのかを大切にしていきたいですね。