3つの特攻に関する史料館に行って思ったこと

先週、先の大戦に関して重大な日がありましたが、みなさん自覚されていますでしょうか。12/8は大東亜戦争が始まった日です。この戦争、緒戦は日本が大進撃を果たし、東南アジアや太平洋上の島々、果てはインドにまでも勢力を伸ばしました。

先日見に行った「この世界の片隅に」でも、昭和16年から昭和18年は何事も無く過ぎていましたね。戦争やっとるんじゃねー、ぐらいの緊迫感のなさ。

しかして、昭和19年の秋にもなると風向きが完全に変わっていました。海軍では捷号作戦が発動され、空母すら囮に使わねばならない程の焦り具合、無謀すぎる状況下での西村艦隊の壊滅(レイテ沖海戦)。制空権がない中での輸送作戦(多号作戦)。

特攻隊が取り沙汰されて声高に語られますが、実はこの時点で既に海軍全体が特攻しているような状況だったのです。レイテはフィリピンにありますが、ここを奪われること=補給路を断たれること、でした。いくら艦艇を持っていたところで、燃料が枯渇し動かせなくなる。それ故の焦り。

▼【艦これ】艦娘達の艦隊興亡記【2015年4月版】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25978311
艦これやってない人にはピンと来ないかもしれないけど、感覚的にとても分かりやすいのがこの動画。前半は飛ばしていただいてOKですが、戦時中のどのタイミングでどのぐらい艦艇が沈んでいるのかを見ると、その時々の状況が垣間見えてきます。昭和19年10月の絶望感はヤバいです。

そういう時代の流れを踏まえた上で、今年行った2つの特攻に関する史料館について思ったことを書いてみます。

▼知覧特攻平和会館(鹿児島) ←陸軍の特攻隊(空から)
http://www.chiran-tokkou.jp/

▼海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(鹿児島) ←海軍の特攻隊(空から)
http://www.mod.go.jp/msdf/kanoya/sryou/msdf-ks/

▼回天記念館(山口) ←海軍の特攻隊(水中から)
http://www.city.shunan.lg.jp/section/ed-sports/ed-shogai-bunka/kaiten/

特別攻撃隊(特攻隊)は最初から必死の作戦が与えられていたわけではありませんでしたが、昭和19年10月になる頃には陸軍・海軍とも必死の作戦として編成されました。また、回天は同11月に初めて実戦に投入されました。手段を選んでいられない、ここで負ければ戦略的に日本の敗北が確定する。そういうタイミングだったのです。

ここで、これまでの私の認識をご紹介しておきましょう。まあほぼ、はだしのゲンなのですが…。赤紙が来て招集された若者は特攻隊の訓練を受け、お国のために片道切符の戦闘機に乗って見事に散って参りますと「言わされ」、実際に飛んで行った。これが子供の頃からの私の認識です。はい、少なくとも広島の私と同年代(30歳前後)の人間は大体こう思っているはずです。

違う。全然違う。上記の認識を真っ向否定する動画が、知覧特攻平和会館で流れていました。当時を知るおじいちゃんが語ります。「特攻隊なんてのはね、優秀な人から選抜されるんだ。もちろん希望者だよ。でもみんな手を挙げる。」
※期間限定の展示ということだったので、いつも流れているわけではないかもしれません。

はい。実際それを裏付けることはできるか、どうか。知覧特攻平和会館でも回天記念館でも、たくさんの遺影が掲げられています。ズラッと。いや、ズラーーーっと。すごい数でしたよ。それぞれ名前と階級と出身が書いてあります。大体「尉」とか「佐」とか着いてます。時々「曹」もいます。ただ、圧倒的に「尉」が多い。「尉」という階級は士官クラスに該当します。なろうったってそうそうなれる階級じゃあありません。会社で言えば、課長クラスでしょうか。実際に特攻作戦に従事していたのは、通常部下を率いて作戦行動を行うような人たちだったわけです。

▼日本軍の階級
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E3%81%AE%E9%9A%8E%E7%B4%9A

そうは言っても、戦死してから特進したりしてて実際はもっと下の階級の人達だったんじゃないの?という声も聞こえてきそうです。なかなかここは証明が難しそうですね。信頼性が低いのはしょうがないですが、とりあえずまとめて以下2つを引用。

▼戦争で日本兵が戦死した場合、必ず階級は上がったのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1072363465
→必ずは上がらない。

▼召集令状(赤紙)で召集された人の階級はどこ辺りまで昇進できたのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211814957
→よっぽど頑張って特務士官になることはできる。一部パイロットなどは、下士官から士官に昇進任官することもあった。

特に戦況の悪化した昭和19年から20年にかけて、特進に対応している暇があったのかというと怪しいのかもしれません。簡単な手続きでもないでしょう。年金やら何やら大いに影響するのに。ただ、これだけは言えるはずです。頑張らない人は間違いなく特攻隊には入れていません。特攻したくなければ頑張らなければ良いのです。死にたくないのであれば、能力を高めず、何を言われてもただ耐えていれば良かったはず。

これで、以前の私の認識は瓦解しました。偏向教育さん今までありがとうございました。二度と戻って来ないでください。永遠にさようならしたいですが、まだまだこの身にまとわりついてるんだろうな。


さて、特攻隊に志願した人の気持ちはどんなだったか。もうちょっと考えてみましょうか。先述の「それでも手を挙げる」気持ち。

フィリピンを失い、艦艇を動かせなくて仕事もできずに燻っている状況。これまでお世話になってきた軍の役に立つこともできず、経験を活かすこともできない。まだ戦争は終わっていないのにどの面下げて郷里に帰るというのか。そんな中、手段として特攻隊という選択肢が登場した。ぜひやらせて欲しい! これで憎き鬼畜米英の鼻っ柱折ってやろうじゃないか! 一矢報いる、ということ。実際、決して無駄ではなかったようですよ。特攻隊の存在に、PTSDを発症した米兵も少なくなかったとか。日本を植民地にしようったって、ただじゃあ済まねえぞ!と大和魂をこれでもかと言わんばかりに見せつけたのです。こうした意気込みを潰そうと、戦後のWGIPにつながっていくような気もします。

こういうことを書くと、戦時礼賛だとか軍国主義だとか言われそうですが、なんでここだけ過剰反応するんですかね。表現の自由やら、みんな大好き自由・平等・平和はどこに行ったんでしょうか。過剰反応するということは触れられてはマズいことがあるからこそ、でしょう。人目を気にするのが日本人の国民性なのは事実ですが、だからと言って世界中のすべての人の目を気にしていたら何もできなくなってしまいます。日本の皆さんはもっと、日本人らしい感覚や精神というものを見直して、自覚していかないといけません。グローバルな考え方を持ちたいのであれば尚更です。アメリカに行っておいて自分のアイデンティティも説明できないようでは、shrugって呆れられちゃいます。

しかし、何からその感性を学べば良いのでしょうか。分かりやすいところだと、修身かな。渡部昇一先生が編纂してくださってる修身の教科書はひとつアリでしょう。あと、葉隠(はがくれ)にもヒントがあるんじゃないかなと思っています。江戸時代の書物ですが「お前らあんまり簡単に切腹したがる風潮やめろよ」という前提で、武士とはかくあるべきと提言している書だったりします。採用するかどうかは別としても、日本人の感性とはどんなものだったのか、今一度学んでみると良いと思います。


▼回天記念館に行くのであれば、ぜひ一読をオススメします。登場人物の名前も覚えておくと、遺影を見る目が変わりますよ。

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